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マルクス・アウレリウス・アントニヌスという皇帝

マルクス・アウレリウス・アントニヌスは有名な皇帝ですよね。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス(Marcus Aurelius Antoninus、121年4月26日 - 180年3月17日)はローマ帝国の皇帝で、五賢帝の一人で、先帝アントニヌス・ピウスの養子である。

アントニヌス・ピウスの娘と結婚し、ハドリアヌス帝がピウスを養子にした際にマルクスもピウスの養子となる。ルキウス・ウェルスとの共同統治の後に単独皇帝となる。

不幸な事に、先帝アントニヌス・ピウスが対外政策をおざなりにしたツケを払わされる恰好になり、ゲルマン人などの蛮族の侵入(マルコマンニ戦争)やシリア属州におけるパルティアの攻撃など、数々の難問に直面する事となる。だがアウレリウス帝は果敢に問題に対処し、自身も遠征先の陣中で没した。

それまでの五賢帝時代は、優れた者を後継者として養子にし、帝位を継承させるという慣習が存在した。しかしアウレリウス帝はその慣習を破り、実子のコンモドゥスを後継者とし、五賢帝時代は終わった。とはいえ五賢帝の他の皇帝が実子を後継者としなかったのは、継がせようとも「法律婚に基づく」実子がなかったという事実があるため、そのような慣習は無かったとの説もある。少なくとも皇帝が好き勝手に後継者を選べる訳ではなく、五賢帝は後継者を選ぶにあたって元老院の承認を得ており、アウレリウス帝も実子を後継者にするにあたり同様に元老院の承認を得ている。

一方、日々の思索と哲学を記した『自省録』と呼ばれる著書を遺している。哲人皇帝とも呼ばれ、ストア派後期の代表的人物に数えられるが、その思想は後期ストア派に顕著な折衷主義でもある。ストア派の克己主義に立ち、キリスト教を迷信として退けた。帝国の安定を図るため、当時すでに衰えていた伝統の神々の祭祀を復興して、帝国の精神的紐帯とすることを図った。このため多神教の礼拝を拒んだキリスト教徒を帝国の安定を危うくするとして迫害した。

なお、中国後漢の史書『後漢書』西域列伝の大秦国の記事に桓帝の延熹9年(166年) 日南に象牙やタイマイなどをもった「大秦王安敦」の使者がきたと記述されている。この「大秦王安敦」がマルクス・アウレリウス・アントニヌスとされる(先代のアントニヌス・ピウスの可能性もある)。
【ウィキペディアWikipediaより引用】

歴史を深く知ることはとても楽しいです。もっともっと勉強したいと思います。

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2008年01月17日 20:45に投稿されたエントリーのページです。

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